タイトル長いですけど、これほんとそのままなんですよね。
一例
今回通ったところだけでも
・春日原(かすがばる)
・白木原(しらきばる)
・唐の原(とうのはる)
・長者原(ちょうじゃばる)
そしてさらには… 原田(はるだ)
これ、伊勢に住んでる人間からするとかなり衝撃的でしたね。身近にほとんどないんですよね「○○はる・ばる」っていう地名。
福岡県の「原」という地名について
これに関して、ちょっと調べたら以下のような記事が出てきたので、やっぱり福岡を中心にした九州においてこの読み方が多いらしいです…。
そして最終的に行き着いたのがこちらのサイト。やっぱり最終的に個人サイトが一番信頼できます。
こちらから内容を要約し、引用させていただいただくとざっくり以下の通り。
これ以下、引用を中心に構成
さて、結果であるが、表記違いによる重複や駅名などを除いた結果、全国で99箇所あり、そのうち何と97箇所が九州・沖縄であった。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
なんと、多いとは思っていましたがここまで偏りがあるとは思いませんでした。20年ほど前の情報になりますが、地名であることから信憑性はかなり高いでしょう。残りの2か所は富山らしいです。
(1)「~ばる・はる」地名は、稲作地帯に隣接する居住空間ではないか。(2)居住空間であっても、狭い範囲に多くの「ばる・はる」が集中していることから、それぞれの「クニ」を構成する氏族の「館(やかた)」という意味を持つのではないか。(3)線上に並んでいるのは、「クニ」の防衛ラインを形成しているのではないか。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
この点については、かなり納得します。実際に今回、白木原などの地名がある大野城市に行って「大野城こころのふるさと館」という施設に行ってきましたが、周辺からは多くの遺跡が見つかっており、古くから集落文化のあった土地であることが証明されています。
さらに面白い見解が。
「~はる・ばる」以外に、九州に目立つ地名として「~丸」がある。「~はる・ばる」ほどではないが、同じ方法で調べたら、全国で232箇所、そのうち59箇所が九州だった。特に福岡県には37箇所もある。また、九州以外に、北陸の福井・石川・富山で合計40箇所もある。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
ふと思ったが、この「~丸」地名も語源は「~ばる・はる」ではないのだろうか。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
※一部具体例を略して引用
こちらの説も自分としてはかなり納得できます。「○○はる・ばる」という読み方をする地名のうち、九州・沖縄以外にあるのは富山の2件だけでした。「○○丸」の分布が北陸にも多いことから繋がりがあるように思えます。
ではそもそもの由来、「○○丸」「○○はる・ばる」に居住空間、集落、クニというような意味合いを持たせるに至った、語源は一体何なのでしょうか。これについても仮説として記載がありました。
すっかり忘れていたが、韓国語にはマウルという言葉がある。「村、部落、里、郷、洞里」という意味である。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
この「マウル」が九州に入って、後に「~丸」で表記される地名になったのではないだろうか。この説は「~丸」地名が福岡と北陸に多いという地理的分布を良く説明できる。つまり韓国語マウル→~マル(丸)→~バル(原)、~ハル(原)というルートである。
https://www.shochian.com/harubaru.htm
韓国経由で日本に伝わってそれが九州・北陸に伝わったということで、単純な地理的に見ると確かに納得できる仮説です。自分は地理や歴史に精通しているわけではないので、確かな説を唱えることはできませんが、今回のこれらの仮説を見て非常に腑に落ちました。
開設から20年以上、ホームページを残してくださっている「T-maru’s Home Page / 尚智庵」様に御礼を申し上げて、今回の疑問についてひとまず解決とさせていただきます。
皆様もぜひ、九州・福岡に行きましたら「○○はる・ばる」という地名を探してみてくださいませ。
他の福岡県についての記事はこちら
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私はこの「原のはる読み」は鎌倉期以降の壇ノ浦の戦いで頼朝が九州遠征した際に起こったものではないか?と考えています。
というのも私の田舎も「原町」を「はるまち」藤原さんだったり鈴木さんだったりする方のお名前が「藤春」さん「鈴春」さんだったりします。
日本語では「はひふへほ」を「わいうえお」読みしますよね?
源平合戦前後で清和源氏の一派は以仁王からの令旨により、天武天皇の血族である蘇我氏を守護するように言われるかしたので、それに対する平家藤原、物部の一族たちを「悪わる」よ読ませようとして「はる」と呼ぶようになった。
対して上総下総安房に落ち逃れた平家・物部氏たちは「莫迦(ばか)」という意味を「蘇我馬子と入鹿」の名前一字ずつをあてがって「馬鹿」とお互い地名人名で罵るようになった、のではないか、と思われるのです。
私はこのお互い掛け合った地名や人名に対する呪詛や呪縛を現代では解くべきに思います。
Reina Muller さん
コメントありがとうございます。
なるほど、土地のこと・地名のことということで地理的な歴史でしか考えていませんでしたが、そういった側面でも見ることができるのですね。